無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 【インド15日目③】アジャンター→ムンバイ→デリー   

1月20日~21日 アジャンター→ムンバイ


見た目にそぐわず、激辛のウタパでおなかいっぱい。
1日観光した後だし、体もクタクタ。
でも、今日はまだ終わらない。
23時の夜行バスでムンバイへ移動。飛行機にギリギリ間に合うか否かのキケンなスケジュールで、とにかく空港へ行き、そこからデリーに空を移動。
デリーの宿は押さえているものの、宿からの確認メールは来ず、地図もない。
まだあとひとがんばりも、ふたがんばりも残っている。


まずは、22時過ぎにチェックアウトして、バスターミナルに向かうべくリクシャを探す。
近くにいた親切なおじさんが、「そこまでだったら、キミなら5……、いや、10ルピーだね」と教えてくれる。
相場(インド人価格)が5で、観光客価格が倍の10ということですね。
なるほど。真っ暗な道を歩いて行く気はないので、払いましょう。

ところが。
声をかけたリクシャはことごとく、「40」だの「50」だの、あのひとを騙す独特な「にやにや」した顔でふっかけてくる。親切なおじさんが交渉してくれたものの、なしのつぶてで、おじさんも形無しだ。

腹が立ったので、重いバックパックを背負ったまま歩くことにした。
インドの夜は暗い。昼間何度も歩いた道だからと思ったが、全然ちがう。
とはいえ、歩いて15分もしないうちに、煌々と暗闇を照らす大きな建物を発見。民間の会社ゆえに近代的なバスターミナルだった。





インドのバスは意図的に同姓同士を隣り合わせにするようだ。混み合った車内でわたしだけ隣が空席。
バスはムンバイの市内まで行く。地図を見ると、おそらく空港を通って市内に入るようだったので、途中で降ろしてもらえるかどうか聞いてみた。一度市内に入ってしまうと、渋滞に巻き込まれるのは必至で、引き返すための時間とお金があまりに無駄だ。第一、本当に飛行機に間に合わないかもしれない。
車掌は英語がカタコトで、停まるのか停まらないのかはもちろん、そもそも理解してくれたのかどうかもわからない。が、とりあえず「心配ない」と言われたので席に戻った。
相変わらず、夜中なのに、大音響で映画が上映される(インド映画はミュージカルなので、大半が大音響で恋の歌とかが流れている)。
夜中の2時3時でも時々停まって人が乗り降りしていく。時刻表とかあるのだろうか。バス停の目印すらないけれど。

次第に夜が明けていく。不安になってきて、停まるたびに「空港に近い?」と聞いたり、もの問いたげに車掌を見つめてみたりするも、手で制されるばかり。わかってはいるの、かな?
結局7時過ぎに「空港だよ」と教えてもらった。
しかも、空港入り口の真下に停まってくれていた。本来そこが空港向けの停車場所なのかもしれないけれど、つい感激。





デリーへは、安いが評判は悪いエア・インディアを使った。
それはチェックインカウンターからすでに表れていた。
膨大な数の乗客が、ロクに列にもならずただ待っている。スキあらば順番を無視しそうなインド人ばかり。というか、実際順番も何も、カウンターに客が群がっている。職員も立っているだけで誰も整理しようとしない。

負けじとわたしもひとを押しのけ(ごめんなさい)カウンターにへばりつく。案の定、わたしの真後ろにいたひとは、わたしを後ろから覆うかたちでカウンターに手をついているから、呆れてしまった。

10時離陸の飛行機は、45分遅れで出発。
安い国内線のわりに、1人1台モニターがあるし、機内食まで出たことは驚き。
(食べたもののどれかのせいで、その後ずっと口がクサかった)





デリーには12:50に到着。
空港はさすがに大きくて近代的。
そして心配していたホテルからの迎えはちゃんと来ていた。
これで安心。やっと休めるかと思いきや。
インドではそうはいかないのだった。


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# by paquila | 2011-07-02 03:31 | 【インド-2011】西インド | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 【閑話】天災とインド   

たまたま暇つぶしに買った古本に、30年以上前の話だけれど、
いまの日本ととても重なる話が書かれており、なかなか面白かったのでここに紹介。


『インド人力宇宙船』 
蜷川真夫(にながわ・まさお) 
朝日文庫 昭和60年発行


この本は著者が1977年から80年までの間、朝日新聞の特派員としてニューデリー滞在中に書いたもの。その中に「政府に期待するほうが間違っている」という題名の話がある。
これは30年以上前の、日本とはまったく考え方も常識も異なるインドのお話。

1977年11月。ハイダラバードやバンガロールで有名な、南インドのアーンドラ・プラデーシュ州でサイクロン(日本で言うところの台風)が発生。
津波は20数キロ内陸までやってきたという。村の建物はすべて跡形もなくなり、家と家族を失った人々の集団。膨大な数の孤児。
主題は、このような状況下における民間のボランティアと政府について。

著者によると、「もし日本でサイクロンのような大災害が起きたら」、「まず自衛隊がくる。県や街が物資を持ってかけつける。人災か、天災かの議論が起き、大体は人災ということになって政府や役所の責任が叫ばれるだろう。予算不足が嘆かれ、結局はだれが責任をとるということでもなく、しかし復旧工事と対策はお役所によって着々と進められ、それで落ちる金が地元の経済復興につながったりする」。

「ところが」と著者は言う。
著者が実際に被災地に足を運んで見聞きした光景は、それとはまるで違ったものだったそうだ。つまり、ありとあらゆることを民間のボランティアが取り仕切っていて、だれも「お上」を責めていないという。「なぜですか」と現地のひとに聞くと、「だって、災害救助のような仕事は役所には向かないでしょう」という答えが返ってきた。

災害から5ヶ月経っても、現地のボランティアは70組織が活動中だった。1万戸以上の家がボランティアによって建設された。
また、ボランティアたちは被災者にとっていちばん大切なものは何かと考え、それは働いて賃金を得ることだと行き着いた。彼らは、被災者の個々の(災害前の)職業を調査して回った。
その結果、大工が1000人いることがわかった。全員にノコギリ、ノミなどの道具が配られた。
鍛冶屋は250人いた。ハンマーなどを配った。
2000人の洗濯屋にはアイロンなど、靴屋850人には切断機など、床屋875人にハサミや鏡など、各地からやってきたボランティアエージェンシーが手分けして配った。


一方、役所も調査を行った。
役所の目的は、政府からの見舞金を出すためだった。間違いがないようにと、家族証明などいろんな文書を必要とし、被災者はこれを好まなかった。


政府(役所)はなにをやるにもとにかく時間がかかる。土木工事ひとつとっても、外国からの緊急援助の分配にしても。また、どの地域も、どの人にも公平にしなければならない。

その点、民間ボランティアは、民間のやることで、かつ「お恵み」なので、もらった方はありがたいと思えばよし、隣の村は「お恵み」にあずかれなかっただけと諦めればよい。
しかし、ボランティアも競ってなんとかほかのボランティアがやっていないことをやろうとするので、結構「お恵み」は平均的に行き渡るのだそうだ。



インドには「物乞い」がいる。
この本が書かれた当時はまだカースト制度があった時代。貧困層が「不可触民」としてみなされ、金持ちが物乞いに施しを渡すなど、ありえない社会だったのだろうけれど、2011年にインドを旅行したときですら、いかにも裕福そうなひとが物乞いを無視するのに対し、あまり裕福ではなさそうなひとが、当たり前のように施しを渡している光景を、実際に見た。

インドでは、貧しい人が、より貧しい人に施しを渡すということが一般的のようだ。そして、施しを税金として、或いは支援金として政府に渡したところで、うまく貧しいひとたちに行き着くかどうかは定かではない。


個人的に、なんでもかんでも国の補償、国の責任とすることにぼんやり疑問を感じていたので、「それをしても始まらないでしょう」と、じぶんたちでどんどん前向きに切り開いていくインド人の話がとても興味深かった。

いまの日本は個々人の生活が複雑で独立、かつ確立し過ぎていて、インド式に「職業を復活させる」ことは無理だろう(30年経ったいまでも、「青空床屋」が営業している国!)。
第一、国も時代もまるでちがう。一概に比較の対象にはできない。
ただ、単純に一面だけを見ると、見舞金の配分に頭を悩ませるより、いっそ店の無い床屋にハサミを渡せた時代、社会の方が、或いは物事はゆっくりでも早く、前に進めたかもしれない。
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# by paquila | 2011-05-10 00:31 | 【インド-2011】閑話 | Comments(0)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 【インド15日目②】見たこともないお菓子と果物、2連続   

1月20日 アジャンター

ガイドに案内され、主要なものを急ぎ足で見学の後、「じゃあ今から30分の昼食時間込みで1時間自由行動です」となった。
石窟群の端からレストランのある集合場所に戻るまで早足で10分はゆうにかかる。
結局昼食は時間がなく、ラッシーだけ飲んだ。ひとりジュースだけすするわたしを不憫に思ったのか、隣にいたインド人家族が「食べなさい」とお菓子をくれた。

これだけ見ると揚げ餃子のようだけれど。実際は分厚いクレープのようなもの。それをちぎって食べる。
パサパサしていて、ちょっと甘い。シナモンの香りもするようなしないような。
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帰りの車は、やはり行きと同様乗用車で、インド人ツアー客3人+男前フランス人+わたし+ガイド(行きはミニバスに乗っていたのに、何故わざわざ狭いこっちに!!)。
団体ではないせいか、行動が自由で、道端の売り子を呼び止めて果物を買ったりする。しかもその場で「剥いてくれ」と切り分けてもらう。道路の真ん中で。そのやりとりはすべて窓越し。ほかの車や牛やひとは、さして文句も言わずわたしたちの車を迂回していく。

「ゴワワ」という洋なしのような果物。細かい種はあるものの、濃厚で水分たっぷり。皮ごと食べる。
謎の赤い粉(辛い)をかけて食べる(写真は粉をかける前)。粉さえなければ甘くて美味しいのに...とひそかに思った。
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さらに、インド人女性の思いつきの要望により、サリー屋に立ち寄る。このツアーで土産物屋に寄るなんて聞いてないのに!! ほかの客の都合はおかまいなしなのだなあと、諦める。

個人旅行なので、ツアーにつきもの土産物屋に入ることもない。これもひとつの機会ととらえて車を降りる。
機織りの工房を見学した後、奥へ。
壁一面に極菜食の布が積み上げられている。
中央に大きなテーブルがあり、そのまわりに腰かけて、店主が客の好みを聞いて次から次へと棚から布を出してきては大胆にテーブルに広げていく。
客はそれを触ったり、引っ張ったりして、どんどん「これは嫌い」「もっと明るいものを」など意見を言う。
ふつう、こういうツアー客を相手にしているお店は押しが強く、外国人もよくわかっていないので店側に勧めれれるがままに適当なものを買わされることが多い。
が、今回はインド人が相手だ。言葉も同じで、ものの価値や相場も外国人よりはわかっている。下手な説明はできない。この買い物の様子を見れたのはラッキーかもしれない。

あっと言う間に何十種類もの布が目の前に、文字通り山積みになった。さすがに驚いた。
インド人女性はじっくり吟味した後、2枚買って帰った。
この後、倍くらいの高さになるまで布が増えていく。
片付けるの大変そうだなと、つい考えてしまう。
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おかげで帰着時間は1時間近く遅れたものの、ミニバスの団体から離れて乗用車に乗った特典はほかにもあり、当初の解散場所ではなく、じぶんの宿の目の前で降ろしてもらえた。
ちなみにガイドも、わたしよりうんと早くに「ここが僕の家だ」と途中下車していった。「遠足は家に帰るまでが遠足です」の論理は、家が学校の手前にある場合、途中で降りた方が合理的だと知る。でも先生は学校へ戻るべきでは...?





夕飯は、3日連続で同じ宿のレストラン。
1都市1トマトスープの約束事?はひそかに続いており、トマトスープとマサラウタパ。
昨日メイちゃんたちが食べたものの味違い。
手でちぎってサンバルやチャツネをつけて食べる。
意外にも、これが今までで食べたインド料理のなかでいちばん辛かった。
見た目は到底辛そうには見えないのに。なにかしら激辛の要素が練りこまれているもよう。
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最後に、アジャンターの感想。
なにほども見ることができなかった。ツアーはやめておけばよかった。高くてもプライベートカーをチャーターするか、或いは面倒でも自力で公共の交通機関で行った方が結果的に良かったかも。

さあ。ごはんを食べたら、夜は夜行バスでムンバイへ移動だ。

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# by paquila | 2011-05-06 22:56 | 【インド-2011】西インド | Comments(0)